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⑥田村清顕と真田幸村の墓
伊達政宗夫人愛姫は、田村清顕の娘です。清顕は天正十四年(1586)に没しています。その後田村領は秀吉に没収され罰子定廣はうしくびりと性を変え、伊具郡に身を潜めていましたが、政宗夫人の命により、二代片倉重長が白石に招き住まわせました。定廣は少納言喜多の名跡を継ぎ、片倉金兵衛と改名し、真田幸村の遺児阿菖蒲を妻とし、300石で仙台藩士となりました。この貞廣が、片倉家廟所の近くに、田村一族の墓所を定め、清顕、幸村の墓などを建立し、一族の菩提を弔いました。
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⑦片倉家御廟
片倉小十郎3台景長は、片倉家代々の城主の墓所を白石城の見える福岡蔵本の愛宕山山麓に決め、初代景綱と2代重長の墓を、延宝八年(1630)景綱の命日にあたる十月十四日に傑山寺から改葬し、仙台の石工に阿弥陀旅来座像を刻ませ墓標としました。景長の没後も前代にならって石像を墓標とし、以後9代までの歴代の城主は石像を墓標としましたが、10台宗景(明治四年1871没)は、角柱状の墓石です。
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⑧白石城
白石城は白石市の中心部にあった平山城で、復元工事では、史実に忠実に、城郭として機能した文政6年再建後の晩年の建造による三階檜(天守閣)、大手門としての本丸の一部を復元。建物は日本古来の建築様式に基づき、数百年の歳月に耐え得る、全国的にも数少ない、木造による復元を採用したもので学術的にも評価を得られ、さらに市民の誇りとなり得る「白石市のシンボル」として復元。
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